釜山、慶南地域の徳川洞、老圃洞古墳群、金海邑城遺跡などから出土した発掘埋蔵文化財10,000点以上を始め、購入分10,000点以上、寄贈分8,000点以上、収集分360点以上など全体の所蔵遺物は総計32,000点以上となります。現在、展示室には先史時代から現代(1953)にいたるまでの釜山地域の歴史と民俗関連遺物を中心に各種文化財1,500点以上を展示しており、外部の野外展示場には塔、仏像、碑石など40点以上の石造物が展示されています。
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行書対連
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- 朝鮮後期の書画家として名高い金正喜(号は秋史)の字で、雲龍文が描かれた黄色がかった紙に行書で書かれた対句である。内容は、「文学縦横各天性/金石刻画臣能為」即ち「文学を縦横に操ることはその天性によるものであるが、金石に文字と絵などを刻むのは臣でも容易にできることだ」という意味で、早くから金石文の重要性に気づき、金石学研究と金石資料の調査及び保護に多くの努力を傾け、後学を指導し朝鮮金石学派を成立した秋史の一面をうかがうことができる内容の文である。跋文の内容を見ると、「桐山へ書いたもので、30年前中国に行ったときに翁方綱と劉墉が書いたこの句節が深く印象に残り、これを試しに書いてみたもの」という記録が残っている。
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金銅菩薩立像(国宝 第200号)
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- この菩薩像は、宝冠、台座、光背がなくなっており、天衣の一部が欠損しているが、統一新羅時代である8世紀後半の典型的な様式を持っている。体は多少硬直している感じを与えるが、肩幅の広さや豊かな胸から腰に続く曲線はとてもなめらかで 弾力性と重量感あふれ、全体的な姿態は比較的温和な印象を与える。顔は、調和がとれていて穏やかであり、顎は肉付きがよくふくよかであるが、 切れ上がった目、高く通った鼻筋、小さい口などの表情は、気高い様子を表している。 口元には穏やかな微笑が浮かべ、菩薩の慈悲深さが感じられる。また、両腕に飾られている2つの腕輪以外には他の装飾がないのも、この菩薩像の特徴の一つである。下半身の美しい服のひだと天衣のリズミカルな曲線は、丈夫のように堂々とした厳かな雰囲気に柔らかさを調和させ、菩薩の聖なる精神を表現するのに大きな役割を果たしている。全体的な表現方法は事実に忠実であり、均衡のとれた立体感を表現し、菩薩の威厳と慈悲深さを同時に兼ね備えた仏像として、統一新羅時代の技術的水準の高い職人による厳粛な造形技法によって作り出された優れた作品であると評価されている。この菩薩像は青銅で作られたもので、仏像の内部は空洞になっており、鍍金がほぼ完全に残っていることから、金色燦然たる姿をしている。
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斥和碑(釜山広域市指定記念物 第18号)
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- 1871年4月、興宣大院君が西洋や日本等近代列強諸国の侵略を排斥し、鎖国を強化する硬い決意と国民にそれを覚醒させるためにソウルと全国の要地に建てた斥和碑の中の一つである。元来は釜山鎭城跡に建てられていたもので、「洋夷が侵犯してきたときに戦わないのは和議することと同じであり、和議することは国を売ることである。これを我々子孫万代まで警告する。丙寅年作、辛未年に建てる」という内容が刻まれている。全国の斥和碑は、1882年壬午軍乱の際に大院君が清に拉致され、朝鮮が門戸を開放し通商が始まったことで全て撤去された。
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粉青沙器象嵌唐草文杖鼓
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- 真ん中の部分を2つに分けて製作した朝鮮初期の粉青沙器太鼓であり、両側に皮をあて、糸で引き合わせて楽器として使用したものと見られる。一方は口が広く開いており、もう一方は狭くすぼめてある。広い側は左側に置いて手のひらで打つ太鼓の側(ブッピョン)、狭い方は右側に置いて竹の棒で打つ杖の側(チェピョン)と呼ばれている。薄い灰青色の釉薬を満遍なく塗られているが、真ん中の接合部位と本体の内部には釉薬は塗られていない。それぞれ3本の白象嵌線で筒には2段、軸には1段の文様帯が描かれており、筒の上段には流麗な唐草文、下段には蓮瓣文、軸には簡略化された単独の小菊文を余白に多く配置して象嵌細工してある。
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銅矛(釜山広域市指定文化財 第18号19号
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- 銅矛(青銅槍)は、銅剣・銅戈と合わせて韓国の青銅器時代の代表的な遺物で、石で作った鋳型に銅を溶かして流し込んで作ったもので、一般的に槍刀と持ち手の2つのパーツからなる。持ち手に長い木の枝をはさんで敵を刺すのに使った武器である。銅矛は、三角型銅剣、銅戈、銅斧(青銅斧)と合わせて出土され、鉄器と共に発見されることもある。その大部分はB.C.2世紀ごろから1世紀末まで使われ、その後は完全に鉄器に代わったと見られる。 この遺物のように、槍先と鋳型が長く、槍の刃が広くなったのは、韓国の青銅器が実用の段階から儀式用道具化していく過程であると考えられる。現在、市立博物館福泉分館で保存・展示している。
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李徳成家 文籍(釜山広域市指定有形文化財 第84号)
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- 朝鮮中期から後期にかけて朝鮮王朝社会に学問、芸術的に大きな影響を与えた李徳成(号は盤谷)家の古書及び古文書である。代表的な遺物として、李徳成の曽祖父であるイ・ギョンソクの『白軒筆帖』、父である李後英の『参判公集』、長男である李真源の『侍直公遺墨』、孫である李匤呂の『先集』と『参奉公集』、再従孫にあたり文章と文字で名を知られた李匤師の『圓嶠集』、三従玄孫にあたる李勉伯の『垈淵遺稿』などである。名筆家の筆跡でほぼ唯一本人の筆写本であるという点が、韓国の書誌学、国文学、古美術史学等の研究に貴重な資料となる。現在釜山市立博物館寄贈室で展示中である。