鼎冠新都市開発によって故郷を離れた住民の記憶を再生するための空間です。 過去と現在の都市をつなぎます。過去の鼎冠村の風景と歴史を新都市へ移転してきた住民に紹介し, 鼎冠村の元住民には故郷の面影を伝えます。
ひとつの国の100年先の未来を決める大きな計画は教育であると言うように,先祖は早くから国家百年の計としての教育を重視してきた。機張邑内に機張郷校が残っており,鼎冠には私立教育機関として書院と同様の性格を持つ龍山齋(ヨンサンジェ)と溯湖臺(ソホデ),そして玉作谷(オクジャッコク)という有名な書堂があった。その後,日帝時代の朝鮮教育令により,植民地武断統治下で教育政策が施行され,機張地域でも近代教育が始まった。
国が外勢の侵略で危機にさらされると,死を覚悟して戦い,国難の克服に臨んだ偉大な精神が全国で勃発した。1592年に文禄慶長の役が起きると, 気概に満ちていた鼎冠出身の人士は義兵として戦った。また,日帝強制占領期の殖民地武断統治下では, 機張地域の独立万歳運動を主導的に展開した。