新石器への招待 | 貝塚の理解 |
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1. 新石器時代の文化
2. 新石器時代の遺跡と分布 3. 釜山の新石器文化/div> |
1. 東三洞貝塚
2. 貝塚とは? |
約1万2千年前からは数百万年間続いてきた旧石器時代が終わり, 磨製石器や土器を使用して定着生活を始める新石器文化が始まる。 新石器人は, 旧石器人と異なり, 水や食料資源が豊富な海辺や川辺,,又は丘陵地帯に集まって暮らしながら, 狩りや魚捕り, 野生植物の採集活動を通じて生計を立てていた。また, 5千年前からはアワやキビのような雑穀栽培を中心にする原始農耕生活も始まった。 このような生活を通じて, 新石器人は様々な形態の住居跡, 墓, 貝塚遺跡を残し, ここで出土したいくつかの種類の櫛目文土器や石器, 骨器, 装身具, 儀礼用具などを通じて彼らの日常生活を垣間見ることができる。
今まで韓国で発見されたり, 調査された新石器時代の遺跡は, 300ヶ所以上にも及び, 遺跡の種類としては, 貝塚, 住居跡, 墓, 洞窟, 野外生活遺跡などがある。 新石器人は, 水と食料資源が豊富な場所に定着して暮らしていたため, 主に海岸地域や大きな川のそばに多くの遺跡が分布している。 新石器時代中期(5千年前ごろ)からアワやキビを中心とする畑作が広く普及し, それに従って新石器人は内陸地域にも進出していくようになった。
釜山地域では, 新石器人が8千年から7千年前ごろに水や食料資源の豊富な海辺に定着し, 魚捕りや狩り, 採集生活をしながら貝塚や家の住居跡, 墓などの各種遺跡や遺物を残した。
この中で特に各種生活廃棄物が積もってできた東三洞, 瀛仙洞, 栗里, 水佳里貝塚, 野外調理用かまど施設が大量に調査された凡方遺跡は, 釜山地域で暮らした新石器人が残した代表的な遺跡である。
これら遺跡から出土した貝殻, 魚, 動物の骨, ドングリ, アワ, キビなどの穀物は, 当時の彼等の食生活をよく表している。また, 各種矢じり, 石斧, 釣り針, もり, 網錘, 石棒, 石皿, 石鍬, 石犂, 櫛目文土器, 貝仮面, 熊型土偶, 耳飾り, 貝腕輪などを通じて当時の生活の様子がよくわかる。
東三洞貝塚は, 光復(第二次世界大戦終戦)前, 日本人によって最初に発見, 調査された。その後, 1969年から1971年まで国立中央博物館で3度に渡って発掘調査を行い, これを通して韓国の新石器文化を明らかにする重要な遺跡として評価され, 史跡第266号に指定された。 1999年釜山博物館の発掘調査では, 韓半島で最も古い甕棺墓とアワ·キビが発見され, 家の跡や貝腕輪を始めとする各種の遺物が大量に出土し, 当時の新石器人の文化内容や生活の様子がより具体的に分かるようになった。
東三洞貝塚は, 各層から出土した遺物の性格や特徴から見て5つの文化層に分かれており, 放射性炭素年代の測定結果, 7千5百万年前から3千5百万年前までの約4千年間形成されたものと推定される。 東三洞貝塚では, 日常生活と生業活動に必要な様々な種類の櫛目文土器や石器, 骨器, 土製品, 儀礼道具や当時の自然環境と食生活の様子を示す各種動物の骨や魚介類が出土した。また, 縄文土器や黒曜石製の石器が出土したことから, 日本の九州地方の新石器人との交流活動もあったと思われる。
貝塚は, 過去において人類が食料として採取して食べ捨てた貝がらが長い間積み重なって作られた遺跡である。まるで墓のように見えることから貝の墓(ジョゲムドム, 又はジョゲムジ)と呼ばれた。貝塚は, 今から約1万年前自然環境の変化によって新石器人が海辺に集まって暮らしながら海の資源を積極的に利用したために出現するようになった。
韓国では, 紀元前6000年ごろから貝塚が作られるようになり, 新石器時代全期間に渡って現れる。代表的な遺跡としては, 東三洞, 凡方, 烟台島, 上老大島, オイド, 弓山, 西浦項貝塚などがある。
貝塚には, 多くの貝殻が土壌をアルカリ性にするため, 貝だけでなく当時の人々が食用として利用していた動物や魚の骨などが小さな骨まで一緒によく保存されている。また, 貝塚の中には破損した土器や石器, 骨器, 土製品などの生活道具だけでなく, 墓, 住居跡, かまど施設などが発見されることもある。 したがって, 貝塚は新石器時代の人々が残したゴミ捨て場であると同時に, その当時の生活や文化の情報が総合的に詰まった宝の山だともいえるのである。