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鎧(釜山 福泉洞古墳群 38号)
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- 鎧は、敵から身を守るための警備用武器である。福泉洞古墳群は、国内で鎧が最も多く出土した遺跡であり、鎧には長い板を利用して作った板鎧と、小さい鱗型の板を繋いで作った鱗鎧(札甲)がある。それ以外の闘具や首保護具や手首保護具、肩保護具など様々な種類の甲冑がある。
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枝つき鈴(釜山 福泉洞古墳群 22号)
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- 福泉洞古墳群22号からは、7つの鈴がついた青銅製の枝つき鈴が出土した。鈴は、算盤球の形で4つの楕円形の穴が開いており、その中に小さな玉が入っていて振ると音がなる。枝になる部分の内側に木の破片が発見されたことから、長い棒を刺して使用したと見られる。
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靴物型土器(釜山 福泉洞古墳群 53号)
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- 福泉洞古墳群の金銅冠は、1号と11号古墳から1点ずつ出土したが、前者は「出」字の形の装飾があり、慶州や大邱、昌寧などで似た形態に作られたものがある。後者は木の枝の形の装飾が特徴であり、この金銅冠は漢江以南地域で発見されたもののうち最も古いものである。
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鴨型土器(釜山 福泉洞古墳群 86号)
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- 履き物の形の土器は、高杯(対角台脚)の上に今日のサンダルのような形のはき物を載せたものである。履き物の中には杯を載せて液体などを入れられるようにしてある一種の容器であり、新羅時代に造られた古墳の副葬品の一つであると確認されている。
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金銅冠(釜山 福泉洞古墳群 11号)
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- 古代伽耶と新羅の墓では、本物そっくりに作られた鴨型土器、又は鳥型土器が多く出土する。背には液体を入れられるように円形の形の入り口があり、穴のあいた尻尾の側と繋がっている。三国誌魏書東夷伝の弁辰条の「伽耶人は死んだ者が天へ舞い上がれるように望み、鳥が死者の魂をあの世につれてゆくと信じている」という記録と一致する。