臨時首都期, 大統領官邸(釜山・景武台と呼ばれていた)は, 李承晩大統領夫妻や秘書らが暮らしながら執務にあたり, 主要な国賓をもてなした空間である。
2000年から2001年にわたる復元工事と2002年に行われた内装工事は, 「釜山の景武台(キョンムデ)」と呼ばれた韓国戦争当時の室内構造と雰囲気を忠実に再現することを主眼としており, 大統領の国政遂行に関する様々な写真資料や遺物が展示されている。 1階には, 応接室と書斎, 内室, 居間, 食堂, 台所, 警備室(証言の部屋), 調理師室(思考の部屋)など8つの部屋, 浴室, 化粧室などがある。2階の展示室は, 執務室と客室に韓国戦争関連の遺物と李承晩大統領の遺品が展示されているほか, 臨時首都釜山に関する映像を観賞できる上映コーナー「回想の部屋」で構成されている。
大統領が公式業務を処理していた場所で, 韓国戦争当時は大韓民国政治の最終的な決定と対外的には外交業務が実際に行われた場所でもある。ここで李承晩大統領は副大統領と長官, 将軍など主要公職者を任命したり, 彼らから国政に関する報告を受けて業務指示を出したりした。また, ジョン・J・ムチオ(John Joseph Muccio)大使やマシュー・B・リッジウェイ(Matthew Bunker Ridgway)将軍など外交・軍事上の主要人物と接見した場所でもある。
応接室の横にある小さな部屋で, 各種書籍や業務参考資料を保管した場所である。戦争期, 李承晩大統領は激務の中この書斎で休息をとり, 食事をするなど大部分の時間を過ごしたといわれる。
李承晩大統領夫妻が滞在中, 寝室として利用していた部屋である。ここには李承晩大統領とフランチェスカ夫人の韓服が展示してあり, 螺鈿作りの箪笥や家具など寝室を飾る生活道具がある。
居間は, 李承晩大統領の家族と景武台で働く人々が集まった場所である。避難当時の政治活動や避難民の生活, 教育, 市場などの様子がわかるミニチュアを展示している。
食堂は李承晩大統領の家族及び官邸職員らが食事をした場所であり, 台所では直接飯を炊き, おかずを調理した。ここでは食器棚や食卓, サイドボード, 各種食器類の小物が展示されている。
証言の部屋は, 元々警備室として使われていた部屋である。韓国戦争の惨禍を伝えるために当時特攻隊員として戦争に参加したイ・ジョンスクさんの証言を聞ける部屋になっている。
思考の部屋は, 元々調理師が住んでいた場所である。韓国戦争及び李承晩大統領関連の図書を配置し, 当時の状況を反芻できるようにした。
元々大統領官邸に訪れた客が主に使っていた部屋を, 現在は‹臨時首都釜山, 1000日の歴史›, <それでも人生は美しい>など, 韓国戦争期の臨時首都釜山に関する映像を上映する「回想の部屋」として使用している。